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仏教思想のゼロポイント: 「悟り」とは何か

06 /30 2016
「悟り」とは何か。
非常に惹かれるタイトルのが、タマフルで紹介されていた

「悟りの境地」が確かに存在するとは言うけども、現代日には「悟りました」と宣言する仏教徒は存在しない。
悟りに至るにはどうすればよいのか、悟るとどうなるのか、何か明確な変化がおこるのか。
そんな疑問に明確に答えられることはない。
書はそんな、根的でまっとうな疑問に挑んでいる。

ちょっとは仏教に興味がある程度の自分では、なかなかに読むのが困難であったが、懇切丁寧に章立てされ、結論に向かう書は、決して素人を突き放すものではない。
とはいえ、もちろん書を読んだだけで「悟り」に到達できるはずもなく、文章化できないという領域まで登場する。
やはり実践しかないということである。
(本書では、その実践として、ヴィパッサナー瞑想というものが、度々言及される)

さて、実践なしに悟りはないということだが、分からないなりにも自分の中で消化したものを以下に忘備録として記録しておく。間違っているかもしれないが。

仏教といえば、「この世は全て幻。あらゆる煩悩を捨てよ。さすれば苦しみは消える」というイメージであるが、それは同時に生きることの否定にならないか?と常々思っていた。
しかし、それはあくまで出家信者への教えであるようだ。(悟ったひとが在家信者へ教えを説くにあたっては、ある程度のフリーハンドが与えられているという)
労働を否定し、渇愛を否定し、あらゆく欲を否定する。
しかも、理論で理解するだけではダメで、ありのままに物事を見ることができるようになり、自然とそのような認識ができるような領域に達しないといけない。
つまり、それが必要だと分かるだけではだめで、その状態に自然とあることが大事だと。
ふむ、ここまで書いてわからなくなってきた。
もう一回読もう。


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