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教養としてのプロレス

03 /17 2015

教養としてのプロレス (双葉新書)教養としてのプロレス (双葉新書)
(2014/08/06)
プチ鹿島

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最近、プロレスというものへの興味が上がっている。
と言っても、エンタメとしてのプロレス興行を見に行きたいというわけではなく、プロレスというものの見方についてである。

今までは、ガチのスポーツ好きを自認していた。
プロレスにははまらなくても、総合格闘技ブームにはガッツリはまっていた。
真剣勝負の格闘技が好きであり、格闘技のみならず、真剣勝負が生み出す様々なものにこそ、スポーツの価値があるのだと思っていた(真剣勝負うんぬんと書くと、プロレスファンにとっては語弊のある表現となるのだろうが)。

真剣勝負が生み出す様々なもの。
説明しよう。
サラリーマンとしてこの世を生きていると、白黒つけられないことばかりだ。
誰もが「これは白だ」と分かっていても、企業の力学なのか、仕事の力学なのか、そう単純に割り切れない事態が山ほどある。
そんな状況にいると、勝ち負けがはっきりつけられるスポーツの世界は羨ましく思えるのだ。
勝つために何をすればいいか、どこを強化すればいいか、何を諦めた方がよいのか。
そしてその努力が、勝ち負けというはっきりとした結果で答えになる。
その結果を受け、またどう努力するか。
そういった過程の明確さが、非常に羨ましく思えるのだ。

書いていて、言い訳がましいと自分でも思うわけだが、とにかくサラリーマンの世界は、様々な要素が絡み合い、勝ち負けもはっきりせず、とかく面倒くさい世界なのだ。

そんなことを思って悶々としていたわけだが、東京ポッド許可局で時折行われるプロレス語りの影響だろう。
「あれ、そんなグレーな世の中だからこそ、プロレス的なものの見方が重要なんじゃないか?」
と思い至ったわけである。

状況を楽しみ、メタ視点を楽しむ。
どうせ、グレーゾーンばかりの世の中だ。
勝ち負けも大事だが、それ以上に楽しむことが大事なんじゃないか。
勝ち負けが例えフェイクでも、そこで繰り広げられる喜びや興奮、痛みはリアルなのだ。

そんなことを、プチ鹿島のプロレス語りや、本書から学びとったわけである。
本書で語られるプチ鹿島のプロレス愛は素晴らしい。
これほどに語るべき愛がある人生、最高ではないか。


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