スポンサーサイト

スポンサー広告
-- /-- --
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

Number PLUS 中山雅史と日本サッカーの20年

03 /13 2013

Sports Graphic Number PLUS 完全保存版 中山雅史と日本サッカーの20年Sports Graphic Number PLUS 完全保存版 中山雅史と日本サッカーの20年
(2013/02/14)
不明

商品詳細を見る


俺が中1か中2の頃だった。
Jリーグが発足した。

小3の頃からサッカーをやってはいたが、田舎である俺の地元では、ダイレクトにJリーグの熱狂を感じることも出来ず、というより、自分たちの弱小サッカーチームを強くするとことに必死だった。
見ることより、プレーすることに夢中だった。
それでももちろん、ドーハの悲劇に涙し、ジョホールバルの歓喜に喜び、着実に根付いていく日本のサッカー文化に熱中した。

Jリーグの発足、スーパースターKAZUの出現、ドーハ、初のW杯出場、日韓W杯、そして海外のリーグへと飛び出していく選手たち。
W杯出場は当たり前となり、インテルやマンチェスターユナイテッドというビッグクラブで活躍する選手も出てきた。
子供の頃には想像だにしなかった、W杯優勝という夢を夢見ることができるようになった。

そんな時代にいちサッカープレイヤーとして生きていることは、本当に幸運だと思う。
特にドーハの悲劇からフランスW杯までというのは、日本サッカーにとって特別な時期だった。
あの頃の日本代表がもつ独特な一体感。
時代の扉を開いてやろうという気概をビシビシ感じた。

そんな時期、常に日本サッカー界の中心にいつづけた男、中山雅史が引退した。
いや、ご存知の通り「引退」という言葉は一切使わず、「未練タラタラです!」と復帰の可能性も語った。
この上なく明るくこの上なく熱い男、中山と日本サッカーの20年がこの『Sports Graphic Number PLUS 完全保存版 中山雅史と日本サッカーの20年』にまとめられている。

改めて中山の達成した偉業に驚く。
Jリーグ通算最多得点、Jリーグ年間最多得点、Jリーグ1試合最多得点、最多連続ハットトリック、J1最年長出場、Jリーグ得点王2回、MVP、ベストイレブン、そして日本初のW杯得点者。
まぎれもなく記録に残るストライカーであるが、記憶に残るストライカーであることも、誰も異論はないだろう。
明るいキャラクターに熱い魂、最後まで諦めず奇跡のゴールをもぎ取る姿も見せてくれた。

そして、ケガとの闘いの壮絶さにも驚かされる。
キャリア後半は、決して鋭い動きとは言えず「中山終わったなあ」なんて思ったもんだが、もはや日常生活もまともに送れないような膝の状態だったとは。
それでも決して諦めず、熱は冷めず、プレイするために格闘した。

中田英寿からは「テクニックやスピードはトップレベルと言いがたい」と評されるが、そんな選手の格闘の歴史こそが偉業である。
日本サッカー界の歴史の残るストライカーのそんな偉業は、中山雅史の背中は、その後の日本サッカーを牽引する後輩を育て、草サッカーを楽しむ俺たちに希望を与えてくれた。

ありがとう、そしてお疲れさまでした。

スポンサーサイト

コメント

非公開コメント

take

FC2ブログへようこそ!

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。