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貧乏という生き方

11 /18 2012

貧乏という生き方貧乏という生き方
(2010/01/22)
川上 卓也

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なんか金持ち本より、貧乏本の方が肌に合うなぁ。
金持ち本もいいけども、そこにはなんのために金持ちになるのかという信念が記されていない。
それはもちろん読者それぞれで見つけねばならないからだ。
しかしざっくりいうと、すべては幸せに生きるためということだろう。

だがしかし、金があれば幸せになれるというわけではない。
金は稼げるようにはなったけども、家庭を顧みる余裕もないほど仕事に忙しく、疲弊しきっているというような例はいくつもあるだろう。
そういう意味で金持ち本というのは、大前提である“幸せ”はとりあえず置いておいて、持ってれば多分幸せになれるであろうお金をもっと稼ごうよ、という。
そういった、ある種の盲目感を感じてしまうのである。

その点、貧乏本はまず幸せに生きるということが第一に来ている。
お金というシステムがあることにより、見えづらくなっている自分にとっての本当の幸せを尊重した結果が、貧乏という選択なのだ。
月に100万稼ごうが、20万稼ごうが、人はあればあるだけ使ってしまうのだ。
それだけこの世の中は消費にまみれている。
2,3ヶ月で新製品を出し、広告をうち、キャンペーンをし、店頭で呼びかける。
そして必要も無いのに買ってしまい、幸せを手に入れたような気になっている。

人間の営みというのは、手段と目的が入れ替わってしまうということが往々にしてある。
幸せという目的を果たすために、人々はテクノロジーという手段で、より便利な生活を求める。
しかし、よりよいテクノロジーを手に入れることが目的と化してしまうのだ。

炊飯器でいうと、エコだの本格○○炊きだの、あらゆる機能が付加されてくるが、本当の幸せな食を追い求めるなら、そんな利便性は捨て去り、手間ひまを楽しみながら、土鍋で真においしいお米を炊くことこそが本来の幸せなのである。

押し売りされた幸せはいらない。
自分の幸せをしっかり見つめる必要があるのだ。
しかし、いかに普段の自分の生活が、「生み出す」ことをしてないことかと愕然とする。
もっと生み出したい、それがきっと本来の楽しさのはずだ。

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