スポンサーサイト

スポンサー広告
-- /-- --
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

暇と退屈の倫理学

04 /17 2012

暇と退屈の倫理学暇と退屈の倫理学
(2011/10/18)
國分 功一郎

商品詳細を見る

哲学者、國分功一郎さんの『暇と退屈の倫理学』を読了。
分厚い本で、かなり読み応えがあり、時間がかかりましたが、哲学が面白くなってきました。

我々の生活をとりまく「暇」と「退屈」を哲学し、生きることは退屈と共にあることだという。
その「退屈」の3つの形式を紹介される。
自分の暇が搾取される退屈、気晴らしと退屈が絡み合う退屈、そして最後が“なんとなく退屈”。
この論には度肝を抜かれたが、わけの分からない何かを哲学するとはそういうものなのかも知れませんなぁ。

もっとも腑に落ちた部分は、消費・浪費について。
この2つの言葉について、自分が持っていたイメージとは異なる定義をしている。
消費とは、もの自体の価値を見ず、「買う」という行為自体をやりとりしている暇つぶしだという。
一方、浪費とは、必要以上のものを入手して、生活を彩ることだという。
例えて言うと、消費はテレビ番組で紹介された話題の店に行くこと。
これには際限がなく、もの自体を見ていないため、満足感もない。
一方、浪費は、別にコンビニ弁当でも食べていれば生きてはいけるが、たまに高級レストランにでも行って、必要以上の食事を楽しむこと。
消費はNG、浪費はOKってことだ。暇を楽しむために。

そして、「かつては労働者の労働力が搾取されていると盛んにいわれてきた。しかし、いまでは労働者の暇が搾取されている」と現状を論じる。
消費者がもの自体を見ず、モデルチェンジによる退屈しのぎを企業に求めている。それが企業に多くの賭けを強いて、設備投資が出来なくなる。そうなると、機械がしていた作業を人がしなければならなくなる。ここに労働者への搾取構造が成り立つ。
こんな消費社会のねじれをつく分析も秀逸。
「物を受け取るのではなくて、終わることのない観念消費のゲームを続けている」と。

また、その語り口が非情に丁寧で、それこそ倫理観を感じられる哲学書になっている。
正々堂々と展開される結論も潔い。
その結論とは「人生楽しもうぜ」である。
ここまで読んできて、「そんなシンプルな!」と思わなくもないが、そういうことなんだよね。
心理はひとつ。

で、楽しむにも訓練が必要であると。
食を楽しむにも、いろいろな味覚を味わえるよう訓練が必要だと。
そう、学問とは人生をたのしむ訓練だと。
この視点は素晴らしい。
これからも学問していきます。
それこそが、暇と退屈の倫理学であると、そういうことですね。

スポンサーサイト

コメント

非公開コメント

take

FC2ブログへようこそ!

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。