セデック・バレ

映画
05 /02 2013


1930年、日本統治下の台湾で起きた『霧社事件』をもとに描いた映画、『セデック・バレ』を鑑賞。
一部と二部の4時間半にわたる超大作。

とても一口には語りきれない。
あと2、3回ぐらい見ないと、語れないような感覚。
鑑賞中、いろんな感情を覚えた。

そしてその感情がどこから来ているのか。
日本人として生きてきた感情なのか。
これからの平和を目指す一人類としての感情なのか。
自分自身のオリジナルな感情なのか。
それてとも、ありきたりの感情を借りてきただけなのか。

文化は尊重すべきだと思う。
が、首狩りという文化があって、それは続くべきではないと思う。
文化であっても、どこかで断ち切らねばならない。
しかし、他国が介入し、結果としてここで描かれたような悲劇が起こる。
いったい何のためなのか。

ひとつ言えることは、体制というものは、えてして現場の感情を損なうものであるということだ。
大きな理想を成し遂げるため、体制を整え、階級を作り、指揮系統を明確にし、目的の遂行にひた走る。
目的遂行のために合理的・効率的な体制は、現場の感情が見えない。
むしろ見なくするための体制なのか。
これがこういう悲劇を起こすのなら、合理性や効率などくそくらえである。

とまぁ、うまく言えないが、とにかく傑作と手放しで言っていいのかすら分からない、ただただ哀しい映画だった。
しかし意義深く、見ておかねばならない映画であることは確かだ。

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